遅くなりましたが4月2日、3日のご報告です
自分なりに考えさせられる事が多く、整理するのに時間がかかり
ご報告が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。
今回も一千万円に近い物資や燃料を届ける事ができました。
これも偏に皆様方の善意の賜物であることに感謝しつつ
改めて御礼申し上げます、ありがとうございました。
行政のヤリ方や政治家の息のかかった避難所の在り方など
今回行って、改めて憤りを感じる事象は山程あるんですが
負の感情を撒き散らしても建設的じゃないし
最初からそうじゃない処をサポートする為に始めた事ですから
そういった類の話は、今日はヤメときますね・・・
4月2日、この日ボク達だけ仙台と石巻に寄ってから気仙沼入りしたんです
理由は仙台と石巻で燃料と物資を降ろしていくためと、どうしても会いたかった友人がいたからなんです
仙台で燃料を降ろし一路、石巻へ
震災から3週間ということもあり、思っていたよりも街は復興していました
といっても、橋の手前と向こう側じゃケッコーな温度差はあったんですが・・・
目的の友人が身を寄せる避難所に到着
電話では話していたので今更な部分はあったのですが、どんな顔して会おうかちょっと考えていました・・・
そんな自分の足踏みを笑い飛ばすかのように、彼は満面の笑みで迎えてくれました
随分と長い間、会ってなかったんですけど彼はアノ頃と変わっていなかった・・・
彼とは10数年振りの再会です
もちろんその間、電話ではヤリトリしてたんですが
お互いにナニか問題でも起きない限り、連絡は取り合っていなかったんです
今回の震災の後、彼とは暫く連絡がとれず
彼と連絡が取れたのは震災後、5日目の夜でした・・・
すぐにでも会いに行きたかったんですが
ボクには週末から、仙台までのピストンの予定が決まっていたため
石巻へ行く時間的な余裕がなかったんです
そこでシモンと仙台の有志に彼のトコロまで物資を届けて欲しいとお願いして
彼には『近いうちに必ず会いに行くから!』とだけ伝え、2週間ちょっとが経ちました・・・
久しぶりに会った彼は、その避難所をまとめるリーダー的な存在となっていて
多くの被災者の方々のサポートを懸命に続けていました
『いいオトコになったねぇ・・・サスガ、オレのキョウダイ!』
なんて笑いながら、他愛も無い話をしながらボクは彼の胸中を探っていました・・・
『どうだったん・・・?』
『津波? 最悪だったねぇ・・・』
『食い物とかは・・・?』
『なぁーんも無いからさぁ、重油まみれのリンゴぉ、目の前のドブで洗って喰ってだねぇ・・・』
『そんでさぁ、最初にオレ喰って 《オッ !? ハラ痛ぐなんねぇ、ミンナ喰えーっ!》 なぁーんてさ・・・』
彼は少し戯けたように、笑ってみせました
どれほど辛かったのか、彼の戯けぶりで痛いほど解りました・・・
気の利いた言葉ひとつかけてやることも出来ないまま
ボクは彼の話を黙って、聞いてました
そして今回、石巻に寄った核心へと・・・
他からは聞いていたのですが、とても電話じゃ聞けなかったから・・・
『妹は・・・?』
『妹?』
『・・・』
『流されだねぇ・・・まだ、見つかってねぇよ』
『・・・』
彼はボクの表情から察して、すぐにこう言いました
『成田く~ん、オレさぁクヨクヨなんかしてねぇーよ!』
『流されだ人なんか、いっぺぇーいんだがら!』
『ウチの妹だけじゃねぇーんだ、そのうちプカプカ浮いでくるよ!』
『それよりさぁ、今生ぎでる人なんだでば !?』
『大事なのは、今生ぎでる人なんだよ !?』
『オレはその人達の為に頑張ろうって決めだんだがら!』
ボクにはウンウンって頷くのが精一杯でした・・・
ナニかを声にすると、泣き出してしまいそうだった・・・
目の前のオトコの精一杯の優しさを、台無しにしてしまいそうだったから・・・
またひとつ、ボクの中でナニかが芽吹きました
言葉には出来ないナニかが・・・でも、ソレは確実に芽吹いたんです
こうしてボクは彼とまた会う事を約束して、気仙沼へと向かいました
長くなってしまったので、気仙沼偏は別記事で後日書きますね
もう見てる人もいると思いますが、記録部隊隊長のもとやんクンが
先にアップしてくれた記事と画像を下記に貼っておきます
被災地の空気が伝わる素晴らしい写真ですので是非、鑑てやってください!
4.2ファントム部隊インザ気仙沼
NO FUTURE TOKYO
ご報告が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。
今回も一千万円に近い物資や燃料を届ける事ができました。
これも偏に皆様方の善意の賜物であることに感謝しつつ
改めて御礼申し上げます、ありがとうございました。
行政のヤリ方や政治家の息のかかった避難所の在り方など
今回行って、改めて憤りを感じる事象は山程あるんですが
負の感情を撒き散らしても建設的じゃないし
最初からそうじゃない処をサポートする為に始めた事ですから
そういった類の話は、今日はヤメときますね・・・
4月2日、この日ボク達だけ仙台と石巻に寄ってから気仙沼入りしたんです
理由は仙台と石巻で燃料と物資を降ろしていくためと、どうしても会いたかった友人がいたからなんです
仙台で燃料を降ろし一路、石巻へ
震災から3週間ということもあり、思っていたよりも街は復興していました
といっても、橋の手前と向こう側じゃケッコーな温度差はあったんですが・・・
目的の友人が身を寄せる避難所に到着
電話では話していたので今更な部分はあったのですが、どんな顔して会おうかちょっと考えていました・・・
そんな自分の足踏みを笑い飛ばすかのように、彼は満面の笑みで迎えてくれました
随分と長い間、会ってなかったんですけど彼はアノ頃と変わっていなかった・・・
彼とは10数年振りの再会です
もちろんその間、電話ではヤリトリしてたんですが
お互いにナニか問題でも起きない限り、連絡は取り合っていなかったんです
今回の震災の後、彼とは暫く連絡がとれず
彼と連絡が取れたのは震災後、5日目の夜でした・・・
すぐにでも会いに行きたかったんですが
ボクには週末から、仙台までのピストンの予定が決まっていたため
石巻へ行く時間的な余裕がなかったんです
そこでシモンと仙台の有志に彼のトコロまで物資を届けて欲しいとお願いして
彼には『近いうちに必ず会いに行くから!』とだけ伝え、2週間ちょっとが経ちました・・・
久しぶりに会った彼は、その避難所をまとめるリーダー的な存在となっていて
多くの被災者の方々のサポートを懸命に続けていました
『いいオトコになったねぇ・・・サスガ、オレのキョウダイ!』
なんて笑いながら、他愛も無い話をしながらボクは彼の胸中を探っていました・・・
『どうだったん・・・?』
『津波? 最悪だったねぇ・・・』
『食い物とかは・・・?』
『なぁーんも無いからさぁ、重油まみれのリンゴぉ、目の前のドブで洗って喰ってだねぇ・・・』
『そんでさぁ、最初にオレ喰って 《オッ !? ハラ痛ぐなんねぇ、ミンナ喰えーっ!》 なぁーんてさ・・・』
彼は少し戯けたように、笑ってみせました
どれほど辛かったのか、彼の戯けぶりで痛いほど解りました・・・
気の利いた言葉ひとつかけてやることも出来ないまま
ボクは彼の話を黙って、聞いてました
そして今回、石巻に寄った核心へと・・・
他からは聞いていたのですが、とても電話じゃ聞けなかったから・・・
『妹は・・・?』
『妹?』
『・・・』
『流されだねぇ・・・まだ、見つかってねぇよ』
『・・・』
彼はボクの表情から察して、すぐにこう言いました
『成田く~ん、オレさぁクヨクヨなんかしてねぇーよ!』
『流されだ人なんか、いっぺぇーいんだがら!』
『ウチの妹だけじゃねぇーんだ、そのうちプカプカ浮いでくるよ!』
『それよりさぁ、今生ぎでる人なんだでば !?』
『大事なのは、今生ぎでる人なんだよ !?』
『オレはその人達の為に頑張ろうって決めだんだがら!』
ボクにはウンウンって頷くのが精一杯でした・・・
ナニかを声にすると、泣き出してしまいそうだった・・・
目の前のオトコの精一杯の優しさを、台無しにしてしまいそうだったから・・・
またひとつ、ボクの中でナニかが芽吹きました
言葉には出来ないナニかが・・・でも、ソレは確実に芽吹いたんです
こうしてボクは彼とまた会う事を約束して、気仙沼へと向かいました
長くなってしまったので、気仙沼偏は別記事で後日書きますね
もう見てる人もいると思いますが、記録部隊隊長のもとやんクンが
先にアップしてくれた記事と画像を下記に貼っておきます
被災地の空気が伝わる素晴らしい写真ですので是非、鑑てやってください!
4.2ファントム部隊インザ気仙沼
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カテゴリ : NEEDLE'S